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東大寺境内から大規模な僧坊跡 焼失した痕跡も出土 [<歴史NEWS>]


 室町末期から戦国時代にかけての、東大寺が戦乱に巻き込まれた際の遺構が見つかりました。
 東大寺は、平安末期の平家の南都焼き討ち(1108年)で焼失し、鎌倉時代に焼失していますが、その鎌倉時代に再建されたものも、1508年の出火や1567年の「三好・松永の乱」により焼失しています。その際の焼失の遺構が今回発見されたもののようです。

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 奈良・東大寺の境内で、16世紀に存在した大規模な僧坊の遺構が見つかった。奈良市埋蔵文化財調査センターが5日発表した。この時代、寺は戦国の争乱に巻き込まれてほぼ焼失したとされ、「受難」の歴史を裏付ける遺物も確認された。

 大仏殿の裏手を東西約135メートル、幅約1.5メートルにわたって発掘。その東端で、直径約130~140センチの礎石3基が東西に3.9メートル間隔で並んでいるのが確認された。平安末期の1180年に平重衡(たいらのしげひら)の南都焼き打ちで寺が焼かれた後、鎌倉時代に再建された僧坊の遺構の可能性が高い。

 僧坊は1508年、原因不明の火災で焼失したとされる。礎石の間にこの時期の焼土層(約5~15センチ)が残っていた。さらに、焼土層の上で、大仏殿の焼けた瓦など炭混じりのがれき層(約5~30センチ)が出土。畿内の主導権争いで1567年、戦国武将の松永久秀が大仏殿に本陣を置いた三好三人衆を奇襲し、その兵火で大仏の頭も焼け落ちた「三好・松永の乱」によるものとみられる。

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 もしかしたら新しい発見もあるかもしれませんね[わーい(嬉しい顔)] 
 昔は、どんな姿だったのか、どこにあったかなどを考えていくと面白いかもしれないなと思います。





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タグ:奈良 東大寺

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